◎おかげが育つためには。 何とかしなければ、どうかしてここんところを脱皮していかなければといったような時には、おかげは頂けない。どういう中にあっても、何ともいえん信心で感ずるところの有難さ、「本当に信心も出来んのにこのようなおかげを頂いて」と、おかげの感じ取り方がまずできてからしか本当のおかげは育っていかない。今日が有難い。ただ今が自分の心がよろこびでいっぱい。いわゆる充実した心の状態、それには必ずそれなりの充実したおかげが頂けるのである。まずは、おかげを受けておるということを知ることが第一。%V
昭和四十三年九月二十六日夜の御理解
信心によってお互いが幸せになっていくということは、自分が、このう充実してくる、自分の心の内容が充実してくる。そこに充実したおかげというものが約束される。
%Vその充実というものは、それなりに、例えば私どもで言うならば、二十年なら二十年前の私の信心、その時に私の心がやはり充実したものであったと、こう思う、いわゆる喜び一杯であったと、こういうことです。ですからそこには、喜びに満ちたそれなりのおかげが約束されてあった。だから信心はそこんところが、起点となってから信心が育ってくる。育っていっただけおかげも頂けてくる。
%Vいつも自分の心のなかに、なにか不足がある。いつも自分の心の中には何かおかげが頂き足らんような考え方がある。これではいつまでたっても本当なおかげになっていかない。
%V今日ただ今がありがたい、思うて見てあれもおかげこれもおかげ、おかげの実感というものがね、あって初めて事実の上にもおかげとなって現れてくる。それはそれなりのものだけれども。それがだんだん育っていくというところに大きな充実感、大きなおかげということになっていくのです。
ですから、どんな場合でも、どんな時でもです、お互いがめいめいの信心の段階も、持っているものも違うのですけれども、とにかく現在がありがたいということを気づかせてもらい。現在がありがたいと、心の中に感じれれるおかげを受けなければ。「何とかしなければ、何とかしなければ」どうかしてここんところを脱皮していかなければといったような時には、おかげを頂けるはずないです。
%V言うならば、月が差し込むようなあばら屋に住んでも、その日暮らしであっても、その中に何ともいえん信心で感ずるところの有難さというものがね、あるときにそれなりのその日暮らしのおかげを頂かやんです。しかし、それはそのままであってはならない。それが育っていくというところに段々おかげも大きくなっていくのです。
ですからその起点となるところは、結局今日ただ今の自分の心の中が、「本当に信心も出来んのにこのようなおかげを頂いて」と、おかげの感じ取り方がまずできてから、そこからしか本当のおかげは育っていかない。
もう何とかならにゃん、何とかならにゃんというのは、どれだけのおかげを頂いてもいつでも不足が、足りないもの、満たされないものになっとるです。それでは結局本当のおかげが育たんです。…ね。
%V今日が有難い。ただ今が自分の心がよろこびでいっぱい。いわゆる充実した心の状態、それには必ずそれなりの充実したおかげが頂けるのである。ですから、もうとにかく現在このままでおかげであるということ、おかげを受けておるということを知ることが第一だということが分かりますよね。それから信心が育つ、だからいつも有難いというものでいっぱい、そういうおかげを頂きたいと思いますね。どうぞ。